石炭の町!三池炭坑万田坑へ①

地質

昨年の3月に行った記録ですが、世界遺産の三池炭坑万田坑の見学をしてきました!日本のエネルギーを支えた炭坑は静寂に包まれていました。

日本の石炭の歴史

日本で初めての石炭の産出は日本書記に記されており、天智天皇5年(西暦666年)に献上された燃える石です。三池で石炭が発見されたのは1469年で、三池郡稲荷村の農夫が枯れ葉を燃やした際に地面の黒い石に燃え移ったとの記録があります。その後、燃石と呼ばれた石炭は広く九州北部で、薪の代わりとして家庭用の燃料に用いられいたと伝えられています。

石炭は様々な品質のものが日本中に分布をしています。かつては東海地方でも大小の炭坑が存在し、岐阜の御嶽町では亜炭(炭化度が低い石炭)が大量に採掘され、一時は日本の亜炭の25%を産出しました。現在でもかつての炭坑が突然崩落し、住宅地や道路が陥没する事故が起きています。

三池炭坑の歴史

三池炭坑の石炭は古第三紀に温暖な海辺に形成された植物群が、内海の湾内に堆積して形成されました。

そのように形成された炭田が九州北部には数多く存在しました。今回紹介をする三池炭坑も、古くは三池藩の藩営鉱山として開発が始まり、天領(幕府の直轄)となったり他の藩の経営になったりとしながら、採掘された石炭は瀬戸内の製塩業者や反射炉などの燃料として活用されました。

幕末にやって来た黒船は、日本に開港を迫り、その要求の中には船の燃料(石炭や薪)、水や食料の提供が含まれていました。明治政府は石炭の重要性を感じ、北海道などの炭田開発を急ぐと同時に筑豊や三池の炭田を官営として、石炭を燃料として八幡製鉄所の整備を行い富国強兵の道を歩みました。つまり、三池の石炭は日本の発展の礎となっていた訳ですね。それを物語るように、日本で初めて鉱山用鉄道敷設(馬車鉄道)が行われたのは三池炭坑大浦坑で1878年の事です。

その後、1889年に三池炭坑は現在の価値で500億円で三井財閥に払い下げられ、近代化が進む事になりました。海底まで延びた鉱床での採掘や深掘りにより発生した地下水を汲み出す排水ポンプの導入、採掘された石炭を運ぶ鉄道や港の整備により、日本を支える炭坑へと飛躍をしました。こういう歴史を大河ドラマで見れたらいいですね!笑

三池炭坑の開発に三池財閥が深く関わっていた事は鉱山の設備からもよく分かります。写真は鉱山施設に貼られた、三井鉱山株式会社(現 日本コークス工業)のプレートです。

三井鉱山株式会社製を示すプレート

少々長くなってしまいましたが、日本の炭田や三池炭坑の歴史を紹介しました。次の記事へ続きます。

次の記事はこちら→炭坑の町!三池炭坑万田坑へ②

参考文献

・日本の鉱山を巡る(下) 園部利彦 弦書房

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日本の鉱山を巡る【下巻】《人と近代化遺産》

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