前回の続き、いよいよ設楽金山を発見!その遺構を歩いて在りし日の鉱山を考察します。
前回はコチラ→幻の金アンチモン鉱山 歴史に埋もれた設楽金山を探す旅②
現場検証 ズリはあるのか?
ハンマーを振るう前に、現場をじっとりゆっくり歩いて探索をしてみる。
先ずは肝心な?ズリを探す。石垣周囲に確かに凝灰岩や流紋岩の砕石か落ちており、僅かに石英を噛んで水晶がある。さらに詳しく調べると石垣の上に敷石のような砂利が散らばっているが、その中には特に水晶が多く混じっており黄鉄鉱等の金属鉱物も噛んでいる。思うにこの細かい砂利はかなり念入りに選鉱をした結果であり、金属鉱物らしい鉱物や鉱石はほぼ回収し尽くされていると考えるべきかな?

川沿いには石英脈がない流紋岩や凝灰岩の拳大の塊が落ちている。やや重みがあり錆色が浮いたものを割ると中から黄鉄鉱が僅かに顔を出した。先の選鉱後と思われる砕石が石英脈を噛み水晶がそこら中にあったがこちらには水晶もほとんど無かった。やはり石英脈が走ったようなところに目的の金属鉱物(含金アンチモン)が出来ていて、そのような石は選鉱対象として石垣のところ(選鉱所)で割りながら選鉱をした名残り、一方、川沿いのズリは坑道を掘り進める際に出た熱水鉱脈以外の母岩や貧鉱(黄鉄鉱)を捨てたと思われる。

現場検証 鉱山遺構の広がりを調べる
次に坑道口と郷土史家の先生が言っていた竪坑を探す。文献には川沿いに坑道口が1つ、上の道沿いに坑道口が1つと文献にはあるが、道沿いは治山工事でコンクリで蓋をされているし、川沿いにもそのような形跡は無くなっている。また竪坑が仮にあったとしても、川面の高さからしても石を落として数秒後に水に落ちるような深さがあるとは到底思えない。
ただ石垣の上にコンクリ土台がありその側に無造作に金属ワイアーが捨てられているところを見ると、この石垣の上に石を降ろす為の簡易索道があった名残りだと思う。と考えると、「昔は深い竪坑があった」と言う証言から、文献にはない坑道や鉱脈が山腹にあり、そのどこか川面より高いところに竪坑はあった。簡易索道はそこから鉱石を降ろすのに使われたと考えるのが自然な気がする。実は参考にした先述の文献で鉱山関係者の方が、「坑道は2つ」と言っているのだが、この関係者は途中で徴兵されて戦争に行っており鉱山の開発の情報が途中で止まっている可能性も捨てきれない。ちなみに別の文献では山の上の方の峠付近でもアンチモンを掘っていたと言う記述があった(鉱山としては別物のようだが)。今回の探索でも周辺に無数に岩脈が見られる事から、熱水鉱脈は周囲の山にもたくさんあり、そんな鉱脈を掘った鉱山や坑道とは呼べない試し掘りした跡は無数にあると考えられる。

さてコンクリ土台と金属ワイアーからそんな妄想を広げつつ、石垣から周囲に広がる鉱山施設?をさらに見て回ってみる。すると明らかに鉱山施設跡と分かる石垣から南側に通路のような斜道が川に向かって走っている。またその周囲にも低い高さの石積が2段3段と存在しており、数年で打ち捨てられた鉱山にしては規模がでかい。このような石段の多くは、選鉱をしていたであろう石垣かの周囲には、飯場や作業員詰め所もあったのでは?と思わせる。しかし如何せん半世紀以上の時を経て辺りは植林に埋もれていて、建物等の人工物は一切無かった。そうそう、先の斜道の先には不自然な大岩が鎮座していたのでその周りを探ると、鉱山あるあるで染付陶片が出てきた。何かを祀ったのか?それともゴミ捨て場なのか?

思わせぶりなのは、その大岩の近くや対岸にも立派な岩脈がある。この大岩が川沿いにあった坑道口を埋めたランドマーク?それとも対岸に見える岩脈は鉱脈の続きでそれを覚えておく為の目印なのか?等と想像がふくらむ···「その時だった!突然だった、山の斜面から轟音と共に巨石が!!」なんて藤岡弘探検隊的な事は何も有りませんでした笑
···気を取り直して。やはり竪坑が気になり周辺の立体図を広げ、窪みや石切り場のような跡を探す。とりあえず怪しい窪みを目指して目の前の山を登ってみました。植林の中なので歩き易くはあるのですが、如何せん急斜面···やっとの事で辿り着いた所は、炭焼き跡でした泣 形的に竪坑と思ったのになぁ。残念です。

とりあえず鉱山跡の検証はこれくらいにしますかね。一旦切ります。
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